2007/10/15 月曜日

一太郎はなぜWordに負けたのか(1)

Filed under: ワープロ, Microsoft Office, 一太郎 — matsui mikihiko @ 14:35:00

この記事は、2004年6月に発行された『パソコン温故知新〜インターネット前夜編』という書籍に「一太郎の蹉跌」という題で掲載したものです。編集会社のご厚意により、ほぼそのまま(タイトルを変更しましたが)ここに再掲載します。

(当時の記事に編集者が寄せた前書き)
DOSの時代、パソコン上のワープロと言えば一太郎が代表格だった。当時は誰もが一太郎ver.3で仕事をしていた。プラットフォームがWindwos中心となり、リッチメディア化していく中で、一太郎も高機能化を果たしてきたが、現在の一太郎には当時のパワーは見受けられない。Windows普及によるソフトウェアの国際化の大波の中で、国産ソフトである一太郎は何を得て、また何を失っていったのか? 一太郎の復権の手がかりを探る上で、また、これからの国産ソフトのビジネス展開を模索する上でも、一太郎の軌跡を知ることは大きな意味があるだろう。
(ここまで:2004年6月の書籍「パソコン温故知新」より)

あれから3年が経過して、OfficeソフトはMicrosoft Officeの一人勝ちの構図が崩れてきつつあります。その主要な相手は、「StarSuite」や「OpenOffice.org」です。また、このブログでも取り上げているように「Googleドキュメント」などのWebアプリケーションも登場しています。それ以外にもたくさんのOfficeソフトが登場していて、もしかしたら戦国時代に入ろうとしているのかもしれません。そういう状況で、95年当時の日本における「一太郎」と「Microsoft Word」の確執は、興味深いと思います。また、事実、OpenOffice.org関連のオフラインミーティングなどで、一太郎からWordへの変遷が話題になることも多いのです。
そこで、このドキュメントをもう一度活用できないかと思い、「パソコン温故知新」の「編集者」兼「発行者」である森屋義男さんにお願いしたところ、即座に承諾していただくことができました。残念ながら書籍の方はもう書店では手に入らないようなので、こうしてWeb上に情報を残しておくことも価値のあることかと思います。

では、森屋さんに感謝して、始めることにしましょう。
→ 森屋義男さんの連絡先
http://pdweb.jp/
http://superworks.jp/

(当時の原稿を確認しながら、数回に分けて掲載していきます。)

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「一太郎はなぜWordに負けたのか」(その1)

● ジャストシステムの野望

1988年4月14日、ホテルニューオータニで記者発表会が開催された。ジャストシステムの「AAC構想」の発表である。AACとは「Advanced Aplication Concept」、「オフィスで一人1台のパーソナルコンピュータを使う時代に先駆け、個々の要求に対して最適なアプリケーション環境を築くためのコンセプト」(浮川和宣社長)だ。来るべき32ビットCPUの時代をにらんで、ワープロソフト「一太郎」とそれを取り巻く商品群をまとめ上げ、さらにその先の商品展開をするための布石であった。

1985年に誕生した一太郎は、翌86年にVer.2を、そして87年6月にVer.3を発売し、88年の3月で累計22万本を売り上げていた。一太郎Ver.3だけでみると、発売から10ヶ月で10万6050本だ。累計で1万本売れば大ヒットという時代に、毎月1万本以上売れていたわけである。

一太郎Ver.3
Image1.png

■ 一太郎Ver.3は、特に多機能・高機能というわけではなかったが、ATOK6の変換効率の良さと相まってベストセラーとなった。稼働環境はMS-DOSVer.2.11以降(標準添付)、RAM640KB以上、58,000円。
Image4.png

一太郎の好調を支えていたのは、徹底したユーザー重視の姿勢だった。製品に盛り込む機能の選択、ユーザーサポート、そしてコピープロテクトを率先して解除したのも一太郎だった(当時のパッケージソフトはコピープロテクトが施してあるものが多かった。フロッピーディスクやハードディスクのトラブルが多かったので、ユーザーにとってコピープロテクトは不評だった。パッケージソフトの機能比較表などでも、コピープロテクトの有無が重要な項目となっていた)。

一太郎Ver.3は、決して特別な機能を備えているわけではなかった。あたりまえの機能を備えているだけのワープロソフトではあったが、ATOK6の変換効率の良さと相まって、ユーザーの圧倒的な支持を獲得していた。一太郎Ver.3は「三太郎」というニックネームで呼ばれ、「赤いパッケージ」といえば、それは一太郎を指す、という趨勢だった。AAC構想発表のちょうど一年前には、図形プロセッサ「花子」を加え、ワードプロセッサと図形プロセッサの両輪稼働で加速していた時代だった。

● ジャストウインドウ登場

AAC構想発表の翌1989年4月、一太郎Ver.4が発売される。AAC構想のもとで、一太郎Ver.4は、「ジャストウインドウ」という同社独自のウインドウシステムの上で動くようになった。

ジャストウインドウは、「ウインドウ」という名前が付いているが、現在のWindowsのように本格的なマルチタスクやGUIを実現したものではなかった。フォントやプリンタの環境を共有し、アプリケーションを切り替えるという程度の機能、いわば多機能のランチャーといった趣だった。

しかし当時は、まだWindows3.0が登場するまえである(Windows3.0は1990年5月に発売)。そのときすでに、共通の環境、共通の操作性のもとで、一太郎や花子を切り替えて動かすという第一歩を踏み出していたのだ。

当時のワープロソフトにとって、図形処理をどのように取り扱うかということは、大きな課題だった。それに対してジャストシステムの取った選択は、花子という専用ソフトを別途販売するということだ。別ソフトにすれば、より高い完成度を目指すことができる。しかし、当然ながらその代償として、両ソフトを組み合わせて使うときのさまざまな障害を取り除く必要が生じる。その帰結として誕生したのが、AAC構想によるジャストウインドウだ。

鳴り物入りで登場した一太郎Ver.4だったが、当初の評判は良くなかった。EMS対応の拡張メモリボードが必要なこと、ハードディスクへのインストールが必要なこと(絶対要件ではなかったが、ハードディスクを使わない場合には何枚ものフロッピーディスクを差し替えながら作業する必要があった。これは現実的でない)など、ユーザーに要求するハードウエア環境がきつかったからだ。一太郎Ver.4を使うために、何十万円もの追加投資が必要だった。

● 製品の回収・交換を繰り返して「一太郎Ver.4.3」へ

しかも、一太郎Ver.4には重大な欠陥があった。印刷関連ファイルなどの不備が重なりトラブルが多発した。
このトラブルに対して、ジャストシステムは製品の回収と交換を決定する。これまで順風満帆できた同社が初めて迎えた危機であった。AAC構想はその出だしから大きく躓くことになった。

この危機に対して、ジャストシステムは、文字通り全社一丸となって対処した。後に聞いた話だが、このとき開発チームは全員が泊まり込みでプログラムの修正にあたったということだ。

こうした真摯な対応がジャストシステムを救った。このトラブルは、結果として同社の評価を下げることはなかった。どちらかといえば、プラスに働いたといって良いだろう。同社の取った処置が、迅速で、誠意あふれるものだったからだが、それまでの同社のユーザーオリエンテッドな姿勢もこれを助けたのだと思う。

ジャストシステムは、ユーザーに対して、一太郎Ver.4.1、Ver.4.2と無償で交換を繰り返した。年末に発売した一太郎Ver.4.3で、ようやく安定版を供給することができた。
こうした難産のすえに誕生した一太郎Ver.4.3だが、このバージョンは、このあと同社の売上に大きく貢献するのである。

== 続く ==

注:この記事は2004年6月に発行された「パソコン温故知新〜インターネット前夜編」から再収録したものです。

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